株式会社ソウサスでは、今「にほんしき」というプロジェクトで、書道家の先生とコラボしてデザイン制作を行っています。そこで、書についてもっと知りたいと思い、「書いずむ」というブログを始めました。今回は日本語のタイポグラフィのみならず、書道にも詳しい大熊さんのお話をぜひ伺いたくて「書いずむ 特別編」を企画しました。「デザインと書をつなげるもの」というテーマでいろいろお話を聞きたいと思います。
よろしくおねがいします。
大熊さんは書道を小学生の頃から習われていたんですよね?
小学3年生からですね。上手な子供ではなかったけど、大人になるまでなぜかやめずにつづきました。
書を習っていたことと、グラフィックデザイナーになろうと考えたことはつながっていますか?
そうですね。一番最初に文字に興味を持ったのは、学校で「木」の縦線の下の部分を跳ねちゃいけないって言われたことです。それで書の師匠に聞いてみたら、どっちでもいいと(笑)デザインに興味をもったのは、書を使って店舗のディスプレイをしたデザインを見てからかな。
その後、明朝体に興味をもつのですが、それは明朝体だと言葉が「裸になる」って感じたから。言葉って、文字という姿でイメージを持つけれども、書体や並べ方によっては裸にできる。明朝体の組版は余分なものを引きはがして文字を裸にしている。
それまで習ってきた「書」というのは、言葉に服を着せることだと思ったんです。ファッションもその人をあらわしているけど、裸もその人でしょう。裸にするか、服を着せるのか、どちらの方向もあるなと。かっこいいともかっこわるいとも感じない、何の感想も持たないような組版がいい組版だと思うんです。どうしたら目立つかということと同じくらい、どうしたら目立たないかにも興味があるんです。
やはり書体を意識させないのがいいということですか?
そうそう。明朝体のなかでもそういうフォントが好きですね。書には、「形」があって「テキスト」がある。唐時代までは、書家(という職業はないが)が書いたものは「書」であり「テキスト」でもある。ところが宋時代になると「テキスト」は木版印刷が担うようになり、書は表現になります。「書」は形のイメージ、「テキスト」は情報になって、「書」と「テキスト」が別れる。だから宋時代から書に個性が出る。テキストの方は木版印刷の「宋朝体」ができ、それがさらに純化されていって「明朝体」ができる。
大熊さんは専門学校を卒業後、最初に道吉剛さんの事務所で働き始めましたよね。そのときは組版についてどれくらい教えてもらいましたか?
組版はざっとしかやっていないですね。写植屋さんへの指定方法とか。それから先は写植屋さんがやってくれたから、細かいことは考えなくてよかった。組版はほどほどにやっていました。ボクの他に、道吉先生の事務所では、辞書の組版設計もしていましたから、道吉先生や辞書の担当スタッフは詳しかったのでしょうが、ボクはそこまでの修行をするまえにフリーになっちゃった。独立後、Macを買って自分でDTPをやりはじめて組版が全然わかっていないことに気づいた。そこから勉強しました。本にも書いたけど府川充男さんの『組版原論』を読んでやっとベタ組みができるようになったんですね。今でも、わからないということにさえ気づかないことがたくさんあるでしょうね。
専門学校でも教わってないんですか?
教わってないんですよ。なんで教えないんですかね。教えた日にたまたまボクが休んだってことはないと思うんだけど。活字を拾って自分で刷ってみる授業はありましたけど、行末処理をどうするとか、「追い出し」とか「追い込み」とかそういう授業はなかったと思いますね。
学校で教えていた先生は、実績も実力もあるデザイナーだと思いますが、いくつくらいの年代の人が多かったですか?
当時40代から50代ですね。25年以上前のことですけど。スペーシングは教わった記憶があるんだけど。
私が習った専門学校でも、文字の詰め方を教えてもベタ組みなどは教えないんですよ。
フライヤーとかならいいかもしれないけど、書籍の仕事をするとき困っちゃうよね。
私が習った専門学校の先生が手がけた、フライヤーをいくつか持ってきたのですが、デザインは非常にかっこいいのに、本文とかも詰めまくってるんですよね。
(フライヤーを見ながら)
スペース恐怖症なところはありますよね。空くのが恐いんでしょうか。
世代的に欧米のポスターへのあこがれが強いからのような気もします。日本語は欧文とは違うリズムで見せるべきだと思うのですが…。
コンプレックスがあるのかな? 欧文に。むかしの本で、欧文の組版をグレーラインって書いているのを読んだことがあります。欧文では、目を細めて見たときに均一のグレーの線に見えるのがいい組版だって。組版の行をグレーに見せちゃいけないと思います、日本語の組版は。漢字が黒っぽくて平仮名が白っぽい。それで漢字と仮名の見分けがつきやすい。詰めすぎるとその字がその字として見えなくなると思います。「し」や「く」は左右が空いているからその字なのであって、「へ」は上下が空いているから「へ」なんですよね。横組で詰めすぎると、たとえば「い」の左半分が左の字の一部みたいに見えて、右半分が右の字の一部みたいに見える。
自分で組版をするようになって、組版への見方は変わりましたか?
変わりましたね。自分で組んでみて初めてわかることが多かったです。今見ると、はじめた頃は何もわかっていなかったと思います。わかっていないということにすら気づいていなかったから、当時の作品は人に見せられません(笑)。
当時のQuarkXpressは任意の大きさの文字ボックスを作って、その中にテキストを流し込む方法しかなかったんです。それでボクも行長を文字サイズの整数倍にするという日本語組版のベタ組の基本に気がつかなかった。
『組版原論』の前は組版を勉強するためのよい資料はありましたか?
あまりなかったですね。『組みNOW』(写研)ぐらいかな。
『文字の組み方』はダメな例とよい例を見せて解説するというやりかたで、わかりやすいのですが、このような見せ方の本を作ろうと思った経緯を詳しく教えてください。
mixiで知りあった、出版の企画をしている方にお会いして、その方とは今もおつきあいさせていただいてますが、「出版社に(大熊さんの)本の企画を出そうと思っているのですが、企画が通ったら書くつもりはありますか」とのことだったので、「通れば書きますよ」と。ダメな例と比べるという見せ方はその企画をした方のアイデアです。
「ダメな例」に関しては、一般の印刷物でいくらでも手に入ったのですが、それをそのまま掲載して後々面倒なことになると困るので、わざわざ自分で「ダメな例」をつくりました。これが大変でした。
組版についての資料は私も手に入るものは色々と集めているのですが、断片的な話題を取り上げた資料が多くて、「これさえ読めば、基本は大丈夫」といった資料がないように思うのですが。
確かにないかもしれないですね。
そういう本を大熊さんが書くという気はありますか?
そうですね。今も「組版道場」でどうするべきかみんなで考えています。答えは一つじゃないですから、どう考えるかを議論しています。
そういえば「組版道場」で最初にやるのが、日本エディタースクールの『編集必携』の初版に出てくる組版のポイント指定の例を、InDesignを使って組んでみる、ということなんだけど、提出されたものを見るとみんなDTPポイントで組んでる(笑)。「組版ではいろんなポイントがあるから、どのポイントで組むのか質問して欲しかった」というところから始めるんです。
グラフィックデザイナーはどの程度、組版に関わるべきだと思いますか?
DTPでは、デザイナーが最後まで組版をやるのが理想だと思います。まあやる人は少ないけど。ボクはそういうめんどくさい仕事、好きなんです。
オペレーターと分業することを否定はしません。その場合はデザイナーがしっかりした指定をして、その意味がわかるオペレーターでないといけません。
組版とか文字関連のセミナーって結構盛り上がってる印象があるのですが、どうでしょう? 私の住んでいる名古屋地区ではそのようなイベントがほとんどないので、うらやましいです。
そうでもないですよ。熱烈に興味を持っている人は日本で200人以上、300人未満じゃないでしょうか。東京で文字に関するセミナーをやるとだいたい全国からそれくらい集まります。200人の会場だと立ち見の人が出るんだけど、300人とかの会場だと、
空きが出ちゃう。以前、偶然同じ日に文字関連のイベントが3ヶ所であったときに、それぞれの会場で70人くらいずつで分かれちゃった(笑)。一部ではすごく盛り上がってるけど、多数ではないですね。
(以下、[後編]へ。)